私が生まれてから今まで

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生まれつき障がいを持った私を、1日おきに病院に連れて行った両親は、医師に「この子は、一生歩けないと思うよ」と言われたようでした。
しかし、諦めなかった両親は、病院での訓練を欠かさなかったうえ、1年に2回脳波の検査を受け、薬も服用していました。

3歳の頃、障がい児の病院がある幼稚園に入園した私が、毎日のように訓練した結果、少しずつ歩けるようになってくると、両親と手をつないで歩けるようになりました。
健常児の中で多少慣れてほしかった両親は、「地元の小学校に通わせたい」という気持ちがあり、入学の1年前に近所の保育園に通いました。
入園にあたり、保育園は私に合った配慮をしてくれました。
普通、1~2名の年長クラスの担任を3名にしたうえ、男性の先生を募集してくれたことは有難かったです。

1年後、入学した小学校では、私が通る場所に必ず手すりを設置してくれたうえ、当時多かった和式トイレも、洋式トイレを完備してくれるなど、学校内を整備してくれました。
かなり好奇心が強かった私は、みんなが傘をさしたり、自転車に乗ったりしていたら、さしてみたい傘や、乗ってみたい補助輪つきの自転車を、買ってもらいました。

中学生になった私は、特別支援学校に入学しました。
通常、スクールバスでの登校でしたが、私が1人で電車やバスに乗り、「登下校の練習をさせたい」という先生たちの希望がありました。
いつか、1人で外出しなければいけないのは事実であることはわかっていても、両親はとても心配していました。
そんな両親の心配をよそに、私は「1人で出かけられるなら、挑戦したい」という思いが強かったです。
その後も、いろいろなことに挑戦した私は寮に入り、自立するための生活を始めました。

高校を卒業した私は、職業訓練校で、就職に繋がることをたくさん学びました。
就職後、私がやりたかったスキーや、保育士の勉強、ヘルバーの資格などに挑戦し続け、その都度両親は陰から支えてくれました。
やがて、好きな人に出会った私は、結婚、出産を経て現在に至ります。

現在、私がいられるのは、障がいを隠さず、いろいろな場所に連れて行ってくれた両親の愛情や後押しがあったからでしょう。
そんな両親のおかげで、「いろいろなことに挑戦してみたい」という思いが私に生まれてきたのでしょう。
また両親の後押しがあれば、新たに何かが切り開けるかもしれません。
育ててくれ、思い通り自由にやらせてくれた両親に感謝の気持ちでいっぱいです。
今後できる限り、親孝行していきたいものです。
さらに、手すりの設置や、洋式トイレの完備など、障がい児に合わせた配慮をしてくれた小学校の対応に感動しました。
バリアフリーが当たり前の現在と異なり、私が小学生の時代では考えられない配慮であり、そのおかげで健常児と同じように小学生生活が過ごせました。